独居している実父の話…久しぶり。
前に父の話を書いたのは春くらい。今年の夏はわりと元気に過ごしていた父、もうすぐ88歳になります。
久しぶりになったのは、頻繁に作りおきおかずを持って行かなくとも父が自分で頑張ってるのと、私が更年期やらでしんどくてブログを更新できてないのが理由ですな。
先週、叔父が亡くなって…父のこともあれこれ考える機会となりました。
最近の父
父の話をメインに書いたのっていつやっけ?と思ったら春でした。
お正月明けはしんどそうやったので、度々おかずを届けたりしていたのが元気になってきた!という内容。
それ以降は大きな病院への付き添いや亡母の月命日に実家へ行く日に作りおきを届けたりしていましたが、特筆すべきものはありませんでした。
この夏は元気でした、父。
年相応に脳は衰えているけど「あれ、どこやった?」は私にも頻発する問題なので想定内やし。
「足が痺れる」「ふらつく」と言うわりには電車でデパートへ行って買い物してきたり、徒歩で距離のある大きなスーパーへ行ったり。
ぼちぼちと動くことにもやっと慣れて、まあまあ機嫌良く過ごしてるかなと思ってたところ、父の一番下の弟が亡くなりました。
叔父が亡くなった
父の弟が亡くなりました。
父は7人きょうだいの長男。今回、虹の橋を渡ったのは一番下の弟で、父のトシから15歳下の73歳。
そう…時々このブログを読んでくださってる方には既視感があるかもしれません。
去年の春にも父は弟に先立たれました。
当時、父は圧迫骨折で入院中やったんで、代わりに妹と二人で告別式に参列した顛末は↑に書いたとおり。
今回の叔父は『おひとり様』でした
これまでも何かあると長男である父が保証人や身元引受人の欄にサイン。
えと…文字にした自分も「え?」ってなったけど、借金の保証人とか留置された時の身元引受人ではなくて、病院へ入院した時に記入する書類がメインです。
今回、亡くなった叔父、年齢は父よりかなり若いですが持病があり、長期入院の時などは父とその姉の伯母が動いてた…過去形なのは2人が高齢化してきたので、近年は私や妹が代打やったんです。
4年ほど前に一人暮らしが大変になった叔父の施設探し…地域包括支援センターへ行ったりとか、施設訪問したりは私と妹、そして(父のきょうだいの内、一番若い)叔母が動きました。
保証人と身元引受人は父と伯父(父の姉の夫)
そうやって、施設に引っ越した叔父は不満もあったようですが【チャキチャキ大阪女の】ケアマネジャーさんに上手く転がされて相手になってもらって過ごしてました。
私と妹は季節の着替えを届けたり、通院の必要が出来たら行ったり、叔父の眼鏡が壊れた時は一緒に外出して作りに行ったなあ…遠い目
だったのですが、コロナ禍に突入して面会謝絶。年齢は若いけれど持病の関係から発症していた叔父は認知症もじわじわと進行してた感じです。
話が長くなりました
で、今年の夏「夜中に呼吸困難になり緊急搬送いたしました」と叔父の施設から電話が入りました。発熱もあったようです。
しばらくして発熱は治まったけれど、嚥下機能が低下しているとの事でリハビリ病院に転院。
その後、入院していた病院から「ひと月のリハビリでは完全に回復しなかったので『療養型医療施設』を紹介します」との連絡が入りました。
叔父の施設のケアマネジャーさんへ相談し、延命は望めないけれど叔父らしさを取り戻せるかもという希望のもと、今までの施設に戻ることになりました。
退院時に父と伯母を連れて施設へ行き、施設と提携しているクリニックの医師と今後の方針を相談。
過度な延命措置はとらない=看取り期間に入るという内容で父が捺印しました。
施設に戻った叔父は「やっと帰れた」と言うたそうです…言葉があまり出なくなっていたのに。
それからほどなくして「状態が良くない」と連絡があり、父と伯母・伯父・施設探しを手伝ってくれた叔母と4人で面会に行きました。
三日後の夜中に叔父は施設の方3人に見送られながら静かに息を引きとったそうです。
翌日に電話があり、そこからは怒涛の1週間…の話は次にまとめたいと思います。
ぱつぱつの喪服どないしよう…